ちょっと前の話だけどポジティブシンキングが危険だという例で、滋賀県大津市で起こった、いたましい事故の話を書きます。それは信号待ちをしていた保育園児の列の車が突っ込み幼い命が奪われた事件です。
この事件では、直進道路を運転していた女性ドライバーが、対向車線に車が来ていて右折することも分かっていたのに、大丈夫だろう向こうが減速してくれるだろうという思い込みで、スピードを落とさす突っ込んできたため、十字路で衝突しそうになり慌ててハンドルを切り、そのまま園児の列に突っ込んでしまったのです。
最近こういう事故の報道をよく耳にするたびに思うことは、いくらポジティブな方でも運転しているだけは少なくともネガティブな気持ちで運転をして欲しいと思ってしまいます。
よく車の教習所などで教えられるのは「かもしれない運転」です。
子供が飛び出してくるかもしれない。信号が赤だけど車が直進してくるかもしれない。など常に起りうる可能性を考えて常にそういう運転をしろと言われたものです。
これってある意味でかなりのマイナス思考かもしれません。ほとんど起らないことを心配して運転することになるのだから運転中緊張もするし、結果的に無駄になる行動もしなければいけない。
結果運転して楽しくないし、とても疲れてしまう。
その結果、車の運転に慣れてくると「だろう運転」に変わってしまう人が多い。
一旦停止しなくても車は来ないだろう。車は来ているけど減速してくれるだろう。というある意味プラス思考で考えてしまうことが多くなる。
実際そういう運転をしていても、普段は問題がないことが多いのも事実です。でも時にはそう上手くいかないことがあり、結果悲惨な事故となる。
今回の事故もその典型だろう。
右折しようとした車は前方を確認しなくても直進してくる車は自分に気がついてくれて減速してくれるだろう。と思っていたのだろうし。
直進して来た車は自分の方が優先だから、右折車は絶対に曲がってこないだろうという。と思っていたのだろう。
もしどちらかが少しでも「かもしれない」と言う気持ちで運転していたら、この事故は起らなかったのではないかと思うと本当に心が痛む。
私も車を運転する一人として、今回のことは人ごとではないと改めて気づかされた。
こういう事を言うと不謹慎だと思われるかもしれないが、車同士がぶつかって歩道に乗り上げる事故などはごく普通に起る事故だと思っている。実際私自身数え切れないくらいそういう現場を目撃している。
時にはスピードを出しすぎて、横転したり、ガードレールを突き破って大破している事故現場なども目撃しているが、その度にどうしてそんな事故が起るのが不思議だと思う場合がほとんどだ。
結局その多くが「だろう運転」で起ったとしか思えない事故なのだろう。
片側一車線で前の車を追い越す時、前方をよく確認もせず「反対車線から車が来ないだろう」と思って車線を変えた途端、正面衝突をしたり。
一旦停止のところで「この道はめったに車が来ないから大丈夫だろう」と思って確認もせず、高速のまま突っ込んで、来た車と衝突したり。
高速で走行しているのに、「このカーブぐらいなら減速しなくても曲がれるだろ」と思ってそのままガードレールに追突したり。と私にすれば信じられないような運転をされている方が多いのが現実だ。
実際私自身そういう「だろう運転」に遭遇して事故になりかかったことが何度もあるが、幸い元々がネガティブのマイナス思考だから、交差点、四つ角、カーブなどではその先がどうなっているの分らないので自然と減速する癖が付いてしまって、いつもブレーキを踏める状態で走行して回避してきた。また一旦停止などでは必ず停まり、それからゆっくり車を進め左右を確認する。
法定速度もほぼ守っている。一般道でもかなりの高速で走れるところはあるのは分っているのだが、万が一の時高速で走るとブレーキを踏んでも停まれないのが怖いのだ。
こういう事を書くと、そういう車の流れを悪くするような運転する奴がいるから渋滞が起るとお叱りを受けるかもしれないのだが、少なくとも車は動く凶器だと思っている。
だからちょっとした甘い考えで運転するとそれが直接事故に繋がるとも思っている。
事故が起ってから後悔しても遅いのが現実だ。事故を起こした時に加害者が良く言う「まさか何々が起るなんて」のまさかは実際はそうではなく、自分が勝手に大丈夫だと思っているから出てくる言葉だと私は思っている。
何度も言いますが、決してポジティブな気持ちを持つことは悪いことでないと思うけど、本当に運転や重大な事故に繋がるような作業をやっている時はネガティブ過ぎて悪いことはないと思う。
もしこんなことが起ったらどうしょう。という気持ちを常に持って行動して欲しいと思う。
このような悲劇を生まないためには、慎重の上に慎重を重ねた運転をしても決して間違いではないと信じている。
事故を起こした被害者も加害者にも待っているのは結局悲劇でしかないのだから。

