僕は人生最悪の期間が3回あったからここまで生きられた

人間心理
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自分の人生を振り返ってみると、「人生最悪という時」という期間を多くの人が持っていると思います。

私の場合は、その人生最悪と呼べる期間が3回ありました。

1度目は25歳の頃、80年代の初めで高度経済成長期と呼ばれる時代でした。

その頃、小規模の企業向けのシステムエンジニアとして働いていましたが、とにかくびっくりするほど仕事があり、連日残業や徹夜の連続でした。

そんな時に、ある客先でトラブルがありました。営業担当の見積が甘くって客先が指定してきた業務が出来るレベルのコンピューターを提案せずに納入してしまったために、システム自体が全く使い物にならない物を作ってしまい、相手の社長は大激怒。結局損害賠償問題までに発展してしまいました。そのため和解案として、システムの一からの組み直し。なおかつ完成するまでの間はシステムで行う仕事も請け負うことになったのですが、極度の人手不足時期だったので、システム設計、プログラミング、請け負った仕事作業の全部を私一人が全責任を負うことになりました。

それからは地獄です。朝会社に行くとシステム設計とプログラムを行って、夕方から深夜までは客先で溜まっている仕事を全部やるまで帰れない生活が始まりました。時には完全徹夜をして、そのまま会社に出社です。

今では信じられない話ですが、休日もなくずっと徹夜か夜遅くまで仕事をやらされていました。一度あまりにも疲れが溜まって日曜日に会社に行かなかったら、会社の上司から電話がかかってきてすぐに出社しろと怒鳴られ、フラフラになりながら出社しました。

結局1年半の間の生活は月の残業平均150時間、1年間で休めた日数は10日間だけでした。会社に行ったら上司にいつ出来るのだと怒鳴られ、客先に行ったら業務が出来ないと怒鳴られ、ストレスも体力も限界に達してしまい、ついに倒れてしまいました。病院で診察してもらったら極度の過労から慢性肝炎を発病しており、もう少し遅かったら死ぬところだったと言われました。

さすがに会社もやばいと思ったのか、3日間ほど休みました。正直言って、それでやっと解放されたかと思いましたが、会社の取った対応は、まったくの素人の子を派遣で雇い、客先の業務をやらせるから、システムに集中せよとのお達しでした。

結局、残業は月100時間ぐらいに減って、休みも日曜日は休めるようになったけれど、地獄から抜け出すことは出来ませんでした。

それから1年かかって、やっと客先の希望するシステムが出来ました。気がついたら2年半も地獄の生活を続けましたが、出来たとき向こうの社長に無理を言ってすまなかった、よくやってくれたと言われたときは達成感と同時にしばらく体が動かなかったです。これが最初の最悪の期間でした。

 

次の人生最悪の期間はバブル崩壊した後の、1993年の事です。

その前の1年半前くらいから、あれほどあったシステムの依頼がぱったりとなくなりました。当時会社の管理職になっていたので、必死に対策を考えたり、仕事をもら為に営業活動等も行っていて、自分の家族のことを考えている暇も余裕もありませんでした。

そんなある日の日曜日、朝起きると家の様子が何か変でした。本来いるはずの妻も子供の姿も見えません。家の中も妙に片付いていました。それでも単純に公園かどこかに遊びに行っている程度に思っていたのですが、夜になっても帰ってきません。さすがに心配になって来て、妻の知り合いに家に行ったり、妻の実家に電話をしたりしたけれど分からず。さすがにパニックになりました。やっと夜遅くになってから妻から電話があり「家に帰らない」と言われました。

まさかと思って、調べてみると貯金通帳も、家にあった金目の物も全てなくなっていました。後日確認したら銀行の残金は7000円だけでした。前日給与の振り込みがあったはずですし、定期預金などを含めると700万ほどの貯金もなくなっていました。

あとで分かった事ですが、妻にバイト先で知り合った男性と駆け落ちされていました。

その最悪の状態で、翌日会社に行ったら今度は社長に呼ばれました。

言われたことはリストラでした。1年半も仕事がなく収入がなかったのですから、実質的な会社の解散でした。今すぐ辞めろとは言わない、3ヶ月時間をやるからその間に仕事を探せと言われました。

そのために必死に仕事を探して応募しましたが、バブル崩壊直後だったので、どこの企業もシステムエンジニア等の募集がほとんどありませんでした。

結局追い詰められて、自分の作ったシステムなどをまとめた資料や、実際に作ったプログラムのサンプルを持って、システム会社と思われる会社に飛び込みで売り込みをかけましたが、これも見事に失敗して、絶望感のどん底まで落ちました。そして解雇まで1週間と言うときに、知り合いの営業担当をしていた会社でシステムエンジニアを募集していると聞き、なんとか紹介してもらい、その会社に潜り込むことが出来ました。結果収入もかなり減り、勤務時間も休日もかなり厳しい条件でしたが何とか生活が出来ると言う状態が保てたという事でリストラのことも忘れて嬉しかったです。

 

最後の人生最悪の期間はリーマンショック直後から始まりました。それまで自社システムで運用していたのですが、会社の景気が一気に悪くなり経費節減の為に自社開発をやめて、既存のシステムに切り替えることになりました。その結果システム部門自体が必要でなくなり、私の立場もなくなりました。

私が必要出なくなったために会社側が行った事は極度の虐めでした。まず最初に行われたことは私の給料の大幅カットでした。その当時管理職だったのですが、病欠が多いという理由(年に3日ほど)で平社員に降格されました。また残業込みの給料体系に変えるという名目で、給料を数万円アップする代わりに残業手当が一切付かなくなったのですが、私だけはアップどころか、逆に数万円カットされて残業もつかなくなりました。結局役職手当と理由の分からない給与カットで給与は3分の2程度になっていました。その後毎年のように給与カットが続き、気がついた時には新人社員以下の半額まで下がっていました。

あとは、仕事が暇だろうという事で、かなり屈辱的な仕事ばかりをやらされていました。また席も部長の真横に変更され、常に監視され、ちょっとでも仕事の手を止めると、「仕事をさぼるな」と部長の罵声が飛んできて、いつもビクビクしていました。

出勤も10分前には会社に行っていたのですが、遅いという事で1時間前に来るように言われ、朝5時に起き、6時に家をでていました。会社から帰るのが8時、9時だったので家では食事、風呂、寝ること以外は出来ませんでした。

上司がそういう事をしているのを見て、他の社員も虐めに加わり、私をシカトするようになり、無理難題の仕事を押しつける代わりに、私の長年行ってきた仕事を無理やり取られてしまい、仕事をする生きがいも、会社にいる存在感も奪われました。

結局会社に対して絶望感を感じ、会社の同僚も誰もかばってくれない状態になり、気がつくとうつ病を発病していました。

その事を会社に言えば、絶好のチャンスと思われ解雇対象になる事が分かっていたので、誰にも言えず、相談することが出来ず。隠してクスリを飲んでいました.

しかし抗うつ剤は症状を緩和してくれる代わりに、気分がぼーとしたり、急激な睡魔に襲われることがあり、ある日気がついたら1分ほどうたた寝をしてしまいました。

それを部長に見られ、「何の病気か知らないが、次仕事中に寝たらクビだからな」と脅かされました。

次の日から仕事中にはクスリが飲むことが出来なくなりました。

そのため、あまりにの辛さに何度も会社を辞めようかと思いましたが、辞めてからの生活に不安であり、結局60歳まで会社に居座り続けました。

会社は65歳まで再雇用をする事になっていましたが、普通は半年前に契約するのですが、私の場合はギリギリまで再雇用を私と結ぼうとせず、結局私の口から60歳で定年退職をすると言いました。

もう正直言ってこれ以上自分自身の精神状態を保つ自信がありませんでした。結局会社からのパワハラは始まってから6年以上続きました。

私が唯一出来た抵抗は残された40日分の有給を使いきる為に、定年退職日以前に休暇に入りました。

正直言って、今も会社には恨みがあります。たしかにリストラされた私を拾ってくれた会社なので恩義も感じていますが、それ以上の貢献もしたつもりでしたが、最後はここまで嫌がらせをされなければ行かないのかと思いました。

そのため、会社を辞めて7年近くなりますがいまだ、うつは完治していません。

こう書くと、私の人生は運がなかったと思われるかも知れません。辛いことが期間が長かったことも事実です。

でも、そのおかげで大概の困難に対して耐性が出来たと思います。

今も決して、金銭的な事を考えると未来は明るいとは言えないと思いますが、何とかなるような気がして生きています。

また人生最悪な時期が来るかも知れませんが、経験した以上の最悪はなかなか無いだろうと思っています。逆に良いことが起こるかも知れないという希望を持ってこれからも元気に生きていきたいと思います。

 

 

 

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